雨上がりの夜須町。ふたたび「宝満宮」へ。

今日は子ども2人の、武道の合宿最終日。また夜須高原青少年自然の家に迎えに行かなければなりません。
そこで、合宿に参加しなかった娘が「宝満宮の石段を一気に登りたい!」と妙な希望を出すので、ふたたび宝満宮を訪れました。

実は建物の後方にも道がつながっていて、前回行ってみたかったのですが、雨だったことと私1人だったので、さすがにちょっと怖くてやめました。しかし今日は雨も上がり、娘と2人なので建物の後方まで行ってみました。

なぜか一部分新しい木の扉?がついています。
屋根の下はなかなか凝ったつくりです。
建物の後ろ側。ここから見ると「宝満宮」がこれなのか、なんなのかよくわからない古ぼけた建物です。

道が続いているので、歩いてみることにしました。
なにやら、シイタケ栽培の「ホダ木」のようなものがありますが、お宮の敷地内でシイタケ栽培とかするものなのでしょうか。近づいてみました。

思い切りホダ木でした。
けれど今は打ち捨てられているようです。
でも、けなげにもちゃんと育っているシイタケがいました。


かわいいなあ・・・。
娘がホダ木を見て、「わー、里山の映画で見たのと一緒やん。ねえ、母ちゃん、シイタケ取らんと?」と、とんでもないことを言ってました。(取りません、もちろん)
ホダ木の横を通り抜けて、ほんの少し歩くと、展望が開け、下が一望できます。

ここ、「宝満宮」のある地は、江戸時代は朝日村に属する二村、というところです。
朝日村は土地は肥沃なのですが、水が不足しがちで、村人を困らせていたようです。
そして、「宝満宮」に祀られているのは「玉依姫」(タマヨリビメ)で、タマヨリビメに関しては固有名詞ではなく神によって選ばれた巫女のことだ、とかいろいろ説はありますが、「水」と深い関係を持つようです。
このように高いところに、玉依姫が祀られている「宝満宮」があるというのも、この地が水不足で悩まされた地だったからなのかも知れません。
(おかげで勉強になりました)

今でこそ荒れ果てていますが、江戸時代に建てられた時には、村人の「水」に対する願いもうけ、きっとさぞかし立派だったろうと思われます。
その証拠に、建物の中を、今回はちょっとじっくり見ましたが、驚いたことに数々の彩色された絵がかけられています。
その中のひとつです。(自動修正をかけています)

部分拡大写真。(自動修正をかけていません。いま私たちが目で見えるままです)

天井を見上げると、これも驚いたことに一面に彩色された絵が描いてあります。(自動修正をかけています)

一部の拡大写真です。(自動修正をかけています)

元はどれだけ美しかったことだろうかと思われます。
今は風雨にさらされっぱなしで、荒れ放題です。
なんだかもったいないなあ、と思います。
これが手を入れたら観光名所にでもなりそうな目算が立つなら補修の予算もつくのだろうなあ、と思ったりします。
雨上がりの、新緑の美しい夜須町宝満宮でした。
また訪れたいな、と思います。

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