20年目の葡萄。

今年もまた秋がきて、先日、久留米の忠雄さん(仮名)から、見事な葡萄が送られてきました。

私は21年前、最初の夫と別居して、長女を連れて、東京から福岡に帰ってきていました。
そのとき、わずか4ヶ月間いた職場で、ご一緒だった美智代さん(仮名)のご主人が、忠雄さんです。

わずか4ヶ月間でしたが、美智代さんには、言葉では言い表せないくらい、力になっていただきました。
4ヶ月間の間に、長女は3歳の誕生日を迎えました。
そのときに、少しでも長女が楽しい気持ちになれるようにと、会ったこともない長女に、大きなぬいぐるみを贈って下さいました。

そのぬいぐるみは、長女が今も大切にしています。

春になり、長女の幼稚園が始まるため、再び東京に帰りましたが、それからずっと、美智代さんは、毎年秋になると、選りすぐりの葡萄と柿を東京まで送ってくださいました。
その後、福岡に戻り、北九州、宗像と引っ越しましたが、そのたびに住所を書きかえて、送り続けてくださいました。

信じられない手紙を忠雄さんから受け取ったのは、長女が大学に合格した、6年前の春でした。
一度、美智代さんにご報告に行かねば、と話していた矢先のことでした。

忠雄さんから届いた、長い長い、一通の手紙。
その中には、美智代さんが、定年退職を目前に、末期癌に倒れられたこと、そして、春が来るのを待つようにして亡くなられたことが書いてありました。

それは、思いもかけぬ知らせでした。
長女も私も、ただ呆然とするばかりでした。
なんでもっと早くに会いに行かなかったのだろうと、悔やんでも悔やみきれませんでした。

そして、その哀しみの知らせから、今年で6年目の秋になります。
初めて、美智代さんに葡萄を送っていただいてから、20年目の秋です。

今年も、葡萄が届きました。
美智代さんがずっと続けていたことだからと、忠雄さんが、美智代さんの遺志をひきつぎ、会ったこともない私たちに、ずっと送り続けてくださっているのです。

ずっしりと重い、一房の葡萄を手にするとき、美智代さんの笑顔を思い出します。
日なたの匂いのする方でした。

私には、美智代さんや忠雄さんに、同じだけの恩返しをすることはできません。
だから、困っている方が身近にいたら、その方に、できるだけのことができたら、と思います。

今年も、忠雄さんから、葡萄が届きました。
美智代さん、長女はすっかり大きくなりました。
元気で、1人暮らししながら、働いています。
もう安心ね、と日なたのような笑顔で、にっこり笑ってくださるでしょうか。

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