バリアフリーとは。今日私は激怒しました。

私は福祉関係の仕事をしているせいか、世の中の「バリアフリー度」に対して、敏感に反応しがちです。
ここ数年で世の中本当に進んできて、車椅子、ベビーカーがブロックされることが少なくなりました。

バリアフリー度(とくに公共施設の)をみれば、街全体の社会福祉に対する態度がわかる、というものでもあるように思います。
北九州市の小倉は、案外(といっては失礼ですが、客観的にみると、いかにも福岡市のほうが公的資金を持っていそうなので、バリアフリーもすすんでいるのではないか、と思ってしまいます)、バリアフリー度が高く、何より、半径500メートルくらいで美術館から小倉城のあたりから、商店街・・・とバラエティ豊かに楽しめます。
ところが、残念ながら福岡市は決してよくないと思います。
たとえば総合図書館に向かう、あのしゃれたレンガの道、あんなところをどうやって車椅子やベビーカーを押して行けというのでしょうか?不必要この上ないと思います。

・・・と、このように、だいぶ世の中進んだなあ、と思う一方、まだまだ「なんじゃこりゃ」と思わされる場面もあるのが現実です。

さて、今日は福岡市内にある温泉施設(批判記事のお約束、というか「武士の情け」で実名は出しません。)で、アタマに来ることがありました。「激怒」とか「憤怒」という言葉が一瞬、アタマの中を駆け巡りました。
ある福祉施設の園外活動でその温泉施設を利用することになっています。
その施設は先ごろ経営者が代わったようですが、以前とても対応よく、「段差はあっても、本当に受け入れる側の意識次第で、こんなに気持ちよく利用できるんだなあ」と感心させられた施設です。
経営者が代わっても、きっとそのホスピタリティは受け継がれているだろう、と思ってその施設の利用を先日申し込み、今日下見に行きました。

ところが、対応したチーフ級の職員は、以前の対応の良さを言うと、
「うちが経営が代わったのは知ってますよね?」と一言。
これは、
「うちでは車椅子やらなんやら、面倒なお客はもう全然歓迎しないんですよね」ということでしょうか。
そのとおり言おうかと思ったのですが、その施設の利用はすでに決定しており、楽しみにしている方も多く、私が彼とケンカして、いざ出かけていったときに対応が悪かったら・・・と思うと、怒りを飲み込まざるを得ませんでした。

基本的に、この温泉施設のある、大型ショッピングモール、またその周辺の施設は、バリアフリーの意識が1世紀分くらい遅れている、というか低いところだと関係者の間では評判ですが、いくらなんでもたいがいにせえ!と言いたくなりました。

こういう対応をして、そういう「悪評」が広まる、とは思わないものでしょうか?
それとも、それは「悪評」ではなく、むしろ「客の選別化」につながる、という感覚でしょうか?

バリアフリーというのは、段差があるかどうかではないんですよね。
たとえ段差だらけの施設でも、「どうぞいらしてください!いかようにもお手伝いしますよ!」というところでは、本当に楽しく、あたたかな気持ちですごせます。

たとえ今障害を持たず、五体満足で生活していても、人はいつまでも若くはなく、いずれは年老いていきます。
杖や車椅子にたよらずに寿命を全うできる、なんてことはないと言っていいでしょう。
社会のバリアフリー化は自分の問題でもある、ということを、私たち一人ひとりが認識していたいものですね。
いやー本当に今日はアタマに来ました。

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